choice

 

オープンソースという考え方もあるわけだが人の作ったものをカタログ状に並べて取捨選択するだけじゃ貿易商と変わらんじゃないか。

スーパーの棚から選ぶのをやめて、、とは良くある例えだがこれが結構なかなか難しい。

人間一人がゼロから何かを作ることは非力に思え様々なソースから取捨選択されデザインされたコンポジットには情報量や強度や密度としてとても敵わないと思える。
だがこれは積み重なっている時間の流れのライン上に新たに何かを付け加えていく、または壊す、はぐらかすと言う幻想の上でだけ成り立つのではとも思う。

この延々と続くと思われる様な情報クラッシュの最中で大きな時間軸に対しての立ち位置を自由に取れるならばそこで行う選択は結果どこまでも自由だろう。また取捨選択に対する一つの可能性はコアが露わになる様に削ぎ落としていくという事か。その上でテクノロジーに対する事が進化の側面に常にある不毛のレーンを乗り継ぎ繰り返さない為の鍵かと思う。

上の動画はJohn oswald のよく知られた一枚、サンプリング規制のボーダーラインの限界をコンマ秒でカットアップする事で探った今聞くとグリッチオールドスクールな雰囲気もある一枚だが、結果として溢れかえる情報の渦がメタ的飽和を見せ和やかなカタルシスを描いているのが特徴か。外れるか捨てていくか、まあ20年前の記録をBGMにしながら色々と考えが膨らんだ。久々plunderphonics聞き直したら意外にイケてたのでついでに。